
生命現象の鍵を握る「第三の生命鎖」として注目を集める糖鎖。しかし、その複雑さゆえに、多くの研究者が足を踏み入れるのを躊躇してきた領域でもあります。今回は、世界トップ2%の研究者(スタンフォード大学発表)にも選出された、岐阜大学 糖鎖生命コア研究所(iGCORE)の木塚康彦教授にインタビューを行いました。学生時代の意外なエピソードから、日本のお家芸とも言える糖鎖分析の伝統、そして「糖鎖を直す(治す)」という壮大なゴールについてお話を伺いました。
目次
インタビュー:糖鎖の『作り方』を制御し、疾患を治す。第3の生命鎖が切り拓く次世代医療のフロントランナー
偶然の出会いから「未知」の領域へ:なぜ糖鎖だったのか?
―― まずは、木塚先生が糖鎖研究の道に進まれたきっかけからお聞かせください。――
実は、最初から今の研究を目指していたわけではないんです。高校生の頃は物理選択で、薬や化学に興味があったので薬学部に進みました。製薬会社で薬を作るような仕事をイメージしていたのですが、大学に入って生物の授業を受けたら「こっちの方が面白いんじゃないか」となって。失礼な話ですが、当時はあまり真面目な学生ではありませんでした。
――そこからどのようにして糖鎖に出会ったのでしょうか。――
4年生で研究室に入るとき、生化学に興味があったので選んだ先が、たまたま糖鎖を研究しているラボでした。当時は糖鎖のこともよく知らずに飛び込んだのですが、やってみると教科書の内容を覚えるよりも「自分で手を動かして新しいことが分かる」のがとにかく面白くて。そこからですね、真面目に大学に行き始めたのは(笑)。
――偶然の出会いが、その後の研究者人生を決めたのですね。――
そうですね。修士で会社に行こうかとも考えましたが、次第に基礎研究の魅力に惹かれていきました。DNAやタンパク質に比べて、糖鎖はまだ分かっていないことが山ほどあった。この分野なら、自分にもやれることがたくさんあるんじゃないかという「勝機」のようなものを感じたのが、今に至る決め手になりました。
「診断」の先にある「治療」を見据えて:糖鎖を作る“プロセス”を制御する独創性
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――木塚先生は「世界で最も影響力のある研究者トップ2%」にも選出されています。先生の強みである「糖鎖の生合成プロセス」への着目について教えてください。――
多くの研究者は、細胞の表面にある「完成した糖鎖そのもの」を分析し、診断に役立てようとします。もちろんそれは重要ですが、そこから一歩進んで「病気に関わる異常な糖鎖を直す(治す)」ためには、細胞の中で糖鎖がどう組み立てられるかというプロセスを知る必要があります。私は、糖鎖を作る「酵素」の連動性に注目しています。
――糖鎖そのものではなく、それを作る「酵素」の仕組みを解明しようとされているのですね。――
はい。糖鎖を作る酵素は約200種類もあり、それらが複雑なネットワークを作って順繰りに反応しています。現在の糖鎖研究では、網羅的な構造解析やスクリーニングなどの手法が世界的に主流ですが、私は地味で時間のかかる「酵素の深掘り」を続けてきました。究極のゴールは、特定のタンパク質についている一本の糖鎖だけをピンポイントで変えること。これができれば、アルツハイマー病などの疾患に対する本質的な治療アプローチが見えてくるはずです。
――日本の糖鎖研究の立ち位置についてはどうお考えですか?――
日本はかつて大型予算を投じて多くの糖鎖関係酵素を世界に先駆けて発見してきました。いわば「お家芸」です。しかし、発見だけで終わってしまい、深いメカニズムの解明が手付かずのままであったり、応用の面で世界に持っていかれそうになった時期もありました。資金やマンパワーで勝る国々と競争するのではなく、日本が培ってきたクリエイティブで発展性のある研究を先んじて進めることが、強みを保つ鍵だと思っています。
日本の”お家芸”を次世代へ:研究を支える伝統技術とオープンな相談窓口

――先生の研究室を支える、欠かせないツールや環境はありますか?――
特殊なものは少ないですが、HPLC(液クロ)は5台あり、フル稼働しています。バイオ系のラボとしては多い方かもしれません。糖鎖を1個ずつ繋いでいく酵素の活性を測るには、これが必要不可欠です。糖鎖は物性の差が非常に微妙で、分離がとても難しい。これは、かつて大阪大学のグループなどが開発した日本独自の精緻な分析技術に支えられています。
――技術が脈々と受け継がれているのですね。他分野の研究者との連携については?――
糖鎖のコミュニティは少し閉鎖的なところもありましたが、今は「J-GlycoNet」という共同研究拠点を通じて、分野外の方が糖鎖について何でも相談できるワンストップ窓口を作っています。データの解釈が難しいという相談も多いですが、URA(リサーチ・アドミニストレーター)のチームがうまく繋いでくれます。製薬企業の方でも、アカデミアの方でも、気軽に扉を叩いてほしいですね。
「80点の正解」よりも「想定外」を:型破りな研究哲学とリフレッシュの大切さ
――これから研究を目指す学生さんへメッセージをお願いします。――
最近の学生さんはみんな真面目すぎて、80点の正解をなぞろうとする傾向があるように感じます。でも、研究はテストの点取りとは違います。「何が起こるか分からない」こと自体を楽しんでほしい。自分の想定を超えたことや、とんでもないことが起きたときこそが面白いんです。型を破って、自分なりの楽しさを見つけてほしいですね。
――先生ご自身は、研究以外の時間はどのようにリフレッシュされていますか?――
週末は小学校のグラウンドで少年野球の監督をしています。私自身は広島出身で熱狂的なカープファンなのですが、子供のチームの運営や指導、親御さんとの調整役を楽しんでいます。あとは料理ですね。自炊を10年以上続けていたので、材料を見て段取りをイメージし、手順通りに進めるのは、どこか実験に通じるところがあってリフレッシュになります。
―― 読書もお好きだと伺いました。――
昔は毎日一冊、小説を読んでいました。物語の構造に触れてきた経験は、今、論文のストーリー構成や申請書を書く際の「国語力」として確実に役に立っています。研究も最後はアウトプットが重要ですから。良いものに触れ、何が起きても受け入れられる多様な経験を、若い人たちにも大切にしてほしいですね。
先生プロフィール情報

岐阜大学 糖鎖生命コア研究所(iGCORE)内の木塚教授の研究室でインタビューを実施させていただきました。ラボの皆様もご協力いただきありがとうございました。
インタビューの中でも話題に上がっている「J-GlycoNet」では糖鎖研究に関するワンストップ相談窓口がご用意されています。
糖鎖研究でお困りの際は是非ご活用ください。
\ 糖鎖研究でのお困り事なら /
木塚 康彦 教授
岐阜大学 糖鎖生命コア研究所 (iGCORE)
糖鎖分子科学研究センター (iGMOL)
教授(センター長)
研究キーワード:
糖鎖、糖転移酵素、糖鎖生物学、生化学、ケミカルバイオロジー、糖アナログ、アルツハイマー病、がん
経歴:
2022年4月 – 現在岐阜大学, 糖鎖生命コア研究所 糖鎖分子科学研究センター, 教授・センター長
2022年 – 現在お茶の水女子大学, ヒューマンライフサイエンス研究所, 客員教授
2020年4月 – 現在東海国立大学機構, 糖鎖生命コア研究拠点 (iGCORE), 拠点長補佐
2018年4月 – 現在大阪国際がんセンター, 特別研究員(兼任)
2021年1月 – 2022年3月岐阜大学 糖鎖生命コア研究所, 糖鎖分子科学研究センター, センター長・准教授
2017年10月 – 2020年12月岐阜大学, 生命の鎖統合研究センター, 准教授
2015年10月 – 2017年9月国立研究開発法人理化学研究所, 研究員
2012年10月 – 2015年9月理化学研究所, 基礎科学特別研究員
2009年4月 – 2012年9月理化学研究所, 特別研究員
受賞歴:
2017年奨励賞, 日本生化学会
2015年奨励賞, 日本糖質学会
2015年研究奨励賞, 理化学研究所
2012年ポスター賞, 日本糖質学会
2011年鈴木紘一メモリアル賞, 日本生化学会
用語解説
糖鎖/ Glycan
糖が鎖状に連なった物質。タンパク質や脂質に結合し、細胞の顔として「細胞同士のコミュニケーション」や「ウイルスの感染」などに深く関与します。DNA、タンパク質に続く「第3の生命鎖」と呼ばれます。
糖転移酵素/Glycosyltransferase
糖鎖を組み立てる「作業員」のような酵素。ヒトでは約200種類存在し、細胞内のゴルジ体などで特定の順番に糖を繋いでいきます。この酵素の活性バランスが崩れることが、多くの疾患の原因となります。
プロセス制御/Process Control
完成した糖鎖の結果(診断)を見るのではなく、「どの酵素が、どのタイミングで、どう繋ぐか」という製造工程をコントロールする考え方。木塚教授が提唱する、疾患の原因を根本から叩く治療アプローチの核です。
HPLC (高速液体クロマトグラフィー)/High Performance Liquid Chromatography
混合物を成分ごとに分離する装置。糖鎖は構造が似通ったものが多く分離が極めて困難ですが、日本が世界をリードしてきた精密な分析技術により、微細な構造の違い(異性体)を見極めることが可能です。
J-GlycoNet(糖鎖生命科学連携ネットワーク型拠点)
糖鎖生命科学の連携を加速させるための共同研究ネットワーク。文部科学大臣により、共同利用・共同研究拠点として認定されています。糖鎖の専門知識を持たない研究者や企業が、解析の相談や共同研究をスムーズに行えるよう「窓口」としての役割を果たしています。
URA (リサーチ・アドミニストレーター)/University Research Administrator
研究者の研究活動を最大化させる専門職。資金獲得の支援だけでなく、木塚教授の事例のように、異分野の研究者や企業との「マッチング・橋渡し」を技術的知見を持ってサポートします。
スクリーニング/Screening
膨大な分子、化合物などの中から目的の性質を持つものを選び出す手法。効率的ですが、木塚教授はあえて「1つひとつの酵素の反応メカニズムを深掘りする」という地道なアプローチを重視し、独創的な発見に繋げています。
まとめ

本日はご多忙の折、貴重なお時間をいただき誠にありがとうございました。インタビューを通じ、先生の知られざる素顔や、その卓越した思考の源泉に触れられたことは、私達にとって大きな財産となりました。「世界で最も影響力のある研究者」として歩まれる先生のパートナーにふさわしい、革新的なソリューションを今後もご提案させていただきます。さらなる高みを目指される先生の歩みを、微力ながらサポートさせていただけますと幸いです。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
(インタビュー担当:高井(理科研岐阜営業所))


