
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター メディカル・ゲノムセンター 部長/NCNP バイオバンク長 服部 功太郎 先生にお話を伺いました。本記事ではバイオバンクが果たす役割と、その持続可能性についてご紹介します。
目次
インタビュー 「バイオ研究の『再現性の壁』を打ち破る!精神・神経疾患研究のブレイクスルーを目指すバイオバンクの挑戦と持続可能性」
なぜ「精神疾患の症候群」を分類する研究が必要なのか
―― 本日はありがとうございます。早速ですが、先生がバイオバンク事業に携わることになったきっかけについて、お聞かせいただけますでしょうか。――
きっかけはシンプルです。私はもともと精神科の臨床医でしたが、精神疾患の治療は非常に難しいと感じていました。 例えば、うつ病や統合失調症は、いわば「症候群」です。 一つの診断名の中に、異なる病態が含まれている可能性があると考えられています。 しかし現状では、それらをまとめて同じように扱い、対症療法を行っているのが実情です。
そこで私たちは、原因を一つひとつ切り分けて特定し、根本的な治療法につなげたいと考えるようになりました。 まずは臨床試料からバイオマーカーを開発し、精神疾患を精密に分類すること、つまり「分ける」ことから始めたいと考えました。 そうした中で、バイオバンクプロジェクトに関わる機会を得て、研究のための試料(検体)収集に関わることになりました。実際に始めてみると、研究そのもの以上に、試料を安定して収集・管理する研究基盤の重要性を強く実感しました。 まずはこの「集める」基盤を確立する必要があると考え、約10年間にわたり、バイオバンクでの試料収集と体制整備に注力してきました。
―― なるほど。試料を集めることを通じて、先生が本来目指していた研究の実現、そして日本の研究基盤を構築する方向へと進んでいかれたのですね。――
そうですね。現在も自ら研究は続けていますが、活動の7割以上を、研究基盤を整備し、研究者の皆様に使っていただくための業務に充てています。 そして、この事業を一過性のものに終わらせず、持続可能(サステナブル)な仕組みとして確立することも重要だと考えています。 疾患がなくなるその日まで続けられるように品質管理の標準化、安定した資金確保、スタッフが安心して長く働ける体制づくりなどを進めることが、現在の私の大きなミッションです。
―― どのような研究においても、基盤となる質の高いサンプルやデータが重要であるということですね。――
バイオ研究の共通課題:再現性の壁を打ち破るための研究基盤の構築
―― バイオの研究における再現性は非常に重要な課題ですね――
再現性は、バイオ研究全体が抱える大きな課題です。
例えば、海外では再現性に課題のある研究に多額の研究費が投じられているといわれています。科学雑誌『Nature』が行ったアンケート調査では、7割以上の研究者が「他者の実験を再現できなかった」と回答し、半数以上が「自分自身の実験でも再現できなかった」と答えています。(※1)
特に医学や生物学の分野でこの問題は顕著です。 がんの研究分野では画期的とされた論文の多くが再現できなかったという報告もあります。(※2)
こうした再現性の問題の一因として、生物材料(試料)の違いが大きく影響していることが報告されています。(※3)
例えば、採血後すぐに処理された試料と、室温で輸送後に処理された試料とでは、多くの分子が異なる可能性があると考えられます。バイオバンクは、試料の採取・処理・保管方法を標準化することで、研究結果のばらつきを抑え、再現性の向上に貢献する研究基盤として機能します。さらに、これまで各施設で個別に収集され、十分に活用されないまま廃棄されていた貴重な試料を、散逸させずに有効活用する役割も担っています。
日本の研究を変える:持続可能な研究エコシステムとオミクスデータバンクの未来
――現在バイオバンク事業を進める上での課題についてお聞かせください。――
私たちの最も重要な役割は、研究に必要な試料や情報を、適切な形で研究者に届けることです。 特に臨床試料を扱った経験のない研究者への提供では、倫理審査等の手続きの難しさがハードルになることもあります。
倫理的なリスクの多くは、同意取得や情報管理など、試料を「集める」段階で発生します。一方で、適切な契約および管理体制の下で行われる「提供」段階のリスクは、相対的に限定的です。例えば、不適切な試料の取り扱いリスクについても、MTA(研究成果有体物移転契約)など、ルールと責任範囲を明確にした契約枠組によって対応可能です。過度に形式化した審査に終始するのではなく、倫理性とガバナンスを前提とした適切な運用のもとで研究を促進し、貴重な試料が活用されないままになることを防ぐことが重要だと考えます。
――今後の新たな取り組みについて教えてください――
試料そのものだけでなく、そこから得られるオミクス情報などをデータベース化し、研究者にアクセスしてもらうというモデルも進めています。ゲノム情報のように解析結果が比較的安定しているデータでは、非常に有効なモデルです。一方で、プロテオームやメタボローム解析は、解析手法や技術進歩によって結果が変動しやすい分野であり、単回解析で完結しないという課題があります。
また、データを蓄積・提供するモデルについては、分野全体として費用回収の仕組みを構築することが難しいという構造的課題があります。そのため、製薬会社とのコンソーシアム形成や、海外のようなスポンサーシップモデルも視野に入れながら、持続可能な形を模索しています。
※注釈:記事中の発言に関する引用情報は以下の通りです。
※1:1,500 scientists lift the lid on reproducibility/nature
※2:Raise standards for preclinical cancer research/nature
※3:The Economics of Reproducibility in Preclinical Research/PLOS Biology
先生プロフィール情報

今回のインタビューでは、東京都小平市にある「国立精神・神経医療研究センター」にお伺いしました。
服部 功太郎 先生
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター メディカル・ゲノムセンター 部長/NCNP バイオバンク長
専門分野:
精神医学、オミックス、バイオバンキング、国際標準化
研究キーワード:
脳脊髄液、プロテオミクス、バイオマーカー、精神疾患
略歴:
1995年:千葉大学医学部卒業
2001年:千葉大学大学院修了(医学博士)。同年、大阪大学細胞工学センター研究員。
2005年:国立精神・神経センター神経研究所 微細構造研究部 室長
2009年:同・神経研究所 疾病研究第三部 室長
2019年:現職(国立精神・神経医療研究センター メディカル・ゲノムセンター 部長)
引用:researchmap (https://researchmap.jp/read0080430)
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専門用語解説
症候群 / Syndrome
共通する複数の症状が見られる状態の総称。精神疾患においては、同じ診断名でも背景にある生物学的な原因が異なる場合がある。
バイオマーカー / Biomarker
血液や尿などの生体由来物質に含まれる、病気の状態や治療効果の指標となる物質。
バイオバンク / Biobank
ヒトの血液や組織などの生体試料(検体)を、診療情報とともに収集・保管し、医学研究のために提供する仕組みや施設。
MTA / Material Transfer Agreement
研究成果有体物移転契約。研究試料などの提供を行う際に、権利の帰属や使用範囲、責任の所在などを取り決める契約のこと。
オミクス / Omics
ゲノム(遺伝子)、プロテオーム(タンパク質)、メタボローム(代謝産物)など、生体内の分子全体を網羅的に解析する学問分野やそのデータ。
まとめ

取材の合間には「露天風呂までDIYで作ってしまう」という先生の意外な一面を伺い、そのバイタリティーに圧倒される取材となりました。完成度の高さからは、細部まで妥協しない先生のお人柄が垣間見えます。バイオバンクという未来の医療を支える研究基盤について、熱意あふれるお話を聞かせていただきありがとうございました。
(インタビュー担当:関口(理科研多摩営業所))


