
2025年9月5日にプレスリリースとして発表になった「抗原・免疫刺激分子・糖鎖を一体化した「統合型グリコ・ナノワクチン」を開発」を軸に、東京科学大諸石教授にお話しを伺ってきました。研究に至る着想、今後のビジョンは?医工連携で挑んだ研究の軌跡を是非ご覧ください。
プレスリリースはこちら(東京科学大学:プレスリリース情報「がん免疫療法の新戦略ー抗原・免疫刺激分子・糖鎖を一体化した「統合型グリコ・ナノワクチン」を開発ー」)
目次
インタビュー 「アクセルを踏む」がん免疫療法へ|Hippoシグナルと医工連携で挑む腫瘍微小環境の制御」
「ブレーキを外す」から「アクセルを踏む」治療へ
―― まずは、今回の研究に至る着想や背景についてお聞かせください。――
もともと私は医学部出身で、治らないがん患者さんと接する中で研究を志しました 。大学院時代は九州大学の中山敬一先生のもとで「鉄とがん」の研究をしていたのですが、留学を機に新しい分野に挑戦しようと、アメリカのUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)で「Hippo(ヒポ)シグナル」というシグナル伝達の研究を始めました 。 そこで2016年に見つけたのが、「がん細胞内のHippoシグナルが変化すると、腫瘍の微小環境が変わり、がんを排除するような環境になる」という現象でした 。今回の研究は、その時に発見したメカニズムを応用しようとスタートしたものです 。
―― 具体的にはどのようなアプローチなのでしょうか?――
現在主流の免疫チェックポイント阻害剤は、免疫細胞にかかっている「ブレーキを外す」薬です 。しかし、そもそも免疫細胞ががんを攻撃しようとしていなければ、ブレーキを外しても効果は限定的です。 私たちが開発しているのは、いわば「アクセルを踏む」薬です 。がん細胞のシグナルを変えることで、がん特異的なT細胞を誘導しやすくする。免疫細胞がいない「Cold Tumor(冷たい腫瘍)」を、免疫細胞が集まる「Hot Tumor(熱い腫瘍)」に変えていくアプローチです 。
医工連携の可能性と、社会実装へのハードル
―― 今回は工学部の先生との医工連携とお聞きしました。――
はい。実は共同研究を行っている工学部の先生は、留学先で隣の研究室にいた古い知り合いなんです 。帰国後、「お互いの技術とアイデアを合わせれば、新しいがん治療薬ができるのではないか」と意気投合して始まりました 。 私はバイオロジーが専門ですので、合成に関しては全て工学部の先生にお任せしています 。バックグラウンドが異なるので「言語」が違うという苦労はありましたが、デザインを一緒にディスカッションしながら進めています 。
―― 非常に画期的な技術ですが、実用化に向けた課題はありますか?――
課題は多くあります。今回開発したiGNは、ナノ粒子骨格に糖鎖やTLRリガンド、ペプチドなどが結合した非常に複雑な化合物です 。そのため、企業側からは品質管理が非常に難しいという指摘を受けています 。 アカデミアでのProof of Concept(概念実証)としては成功しましたが、社会実装のためには、よりシンプルなデザインへの変更や、安定した品質での合成法の確立が必要です 。また、現在は金のナノ粒子を使用していますが、組織分布や副作用の観点から、素材自体をより改善していく検討も進めています 。
「鉄」視点のフェロトーシス研究で、独自の勝ち筋を
――先生は「鉄」の研究でも知られていますね。今後のビジョンをお聞かせください。――
私の研究の根幹にあるのは「腫瘍微小環境の理解」です 。がん細胞と周辺細胞の相互作用を理解し、そこを操作することでがんを治したいと考えています 。 その中で、もう一つの柱である「フェロトーシス(鉄依存性細胞死)」の研究にも力を入れています。フェロトーシスは「鉄」「脂質代謝」「レドックス(抗酸化)」の3要素が重要ですが、世界的に見ても「鉄」の観点からアプローチしている研究者は意外と少ないんです 。 私たちは鉄動態をin vivo(生体内)で可視化したり、操作したりする独自の技術を持っています 。このオリジナリティを活かし、フェロトーシス誘導によるがん治療など、他にはない強みで創薬ベンチャーなどの展開も視野に入れています 。
研究に欠かせないのは「装置」ではなく「人とアイデア」
――最後に、先生の研究において「欠かせないもの」について教えてください。装置や試薬など、様々な観点があるかと思いますが。――
やはり一番は「人」ですね 。 「物」に関して言えば、私たちの研究には特殊な高額装置はそれほど必要ありません 。化学合成は一般的な設備があればできますし、解析も既存の顕微鏡やフローサイトメーターがあれば可能です 。 重要なのは、既存の装置をどう使うかという「アイデア」です 。例えば、私たちは「マウス胎仔の体外培養」の研究も行っていますが、これに必要な装置はメーカーさんとコラボレーションして、自分たちでカスタムメイドで作っています 。市場に売っていないなら、アイデアを出して作ればいい。そういうスタンスです 。
――「人」については、どのような人材が理想的でしょうか?――
最近の若い方は非常に優秀ですが、効率を求めるあまり少し「キット」に依存しすぎている面があるかもしれません 。「これとこれを混ぜれば結果が出る」というだけでなく、「なぜそうなるのか」という原理や仕組みに興味を持ってほしいですね 。 子供のように「なんで?」と疑問を持ち続け、物の仕組みを深く考えられる方。そういう方と一緒に研究ができれば、大きな発見に繋がるのではないかと思っています 。
先生プロフィール情報

今回のインタビューでは、東京都文京区にある「東京科学大学 細胞動態学分野」のラボにお伺いさせていただきました。
諸石 寿朗 先生
東京科学大学 難治疾患研究所 細胞動態学分野 教授
研究分野:
細胞生物学、発生・再生科学、薬理学、シグナル伝達、代謝調節、生化学
専門分野キーワード:
細胞動態、生体恒常性、シグナル伝達、代謝調節、オルガノイド、細胞社会、生化学
発表論文・研究課題情報(抜粋):
1. 共生と排除が紡ぐ細胞社会の理解と制御
2. DNAイベントレコーダー細胞
3. ゴーギャン生物学:環境適応と多様性の変化から紐解く細胞たちの過去・現在・未来
4. 胎児丸ごとの体外培養法を用いた次世代オルガノイドの開発
5. 生体における鉄動態“可視化”への挑戦
引用:researchmap (https://researchmap.jp/tmoroishi)
専門用語解説
Hippoシグナル /Hippo signaling pathway
細胞の増殖や器官のサイズ制御に関わるシグナル伝達経路。諸石先生の研究では、がん細胞内のHippoシグナルが変化することで腫瘍微小環境が変化し、がんを排除するような環境(Hot Tumor化)へ誘導できることが発見された。本研究の起点となっている重要なメカニズム。
Cold Tumor ・ Hot Tumor
腫瘍組織への免疫細胞の浸潤度合いによる分類。免疫細胞が浸潤しておらず免疫応答が起きにくい状態を「Cold」、免疫細胞が集まっており攻撃が起きやすい状態を「Hot」と呼ぶ。既存の阻害剤(ブレーキを外す薬)はCold Tumorには効きにくいため、本研究ではColdをHotに変える(アクセルを踏む)アプローチを目指している。
統合型グリコ・ナノワクチン/iGN
諸石先生と工学部の先生との医工連携により開発された、新しいがん治療用化合物。ナノ粒子骨格に対し、糖鎖、TLRリガンド、ペプチドなどが結合した複雑な構造を持つ。がん特異的なT細胞を誘導しやすくする「アクセルを踏む」役割を果たす。
TLRリガンド/TLR ligand (Toll-like receptor ligand)
自然免疫を作動させる受容体(Toll様受容体)に結合する物質。今回開発されたiGNの構成要素の一つとして組み込まれており、免疫システムを活性化させるための重要なパーツとして機能している。
Proof of Concept/POC
概念実証。新しいアイデアや理論(今回はiGNによる治療アプローチ)が、実際に実現可能であり効果があることを検証する段階のこと。アカデミアレベルでは成功しているが、社会実装に向けては、よりシンプルな合成法や品質管理の確立が必要とされている。
フェロトーシス/Ferroptosis
近年注目されている、鉄依存性の制御された細胞死のこと。アポトーシスとは異なるメカニズムで起こる。重要な要素として「鉄」「脂質代謝」「レドックス(抗酸化)」の3つがあるが、諸石先生は独自技術を用いて「鉄」の動態を可視化・操作する視点から研究を進めている。
in vivo
「生体内で」という意味。試験管内(in vitro)での実験だけでなく、実際に生きたマウスなどの個体を用いて鉄の動きを可視化したり、操作したりする技術が、諸石先生の研究室の大きな強み(オリジナリティ)として挙げられている。
まとめ

今回は医工連携でのチャレンジの先で発表となったiGNの可能性や、先生のご研究に対するお考えをお伺いすることができました。「人とアイデア」を大切にされる姿勢が特に印象的でした。
諸石先生はじめ、ラボの皆様ご対応いただきありがとうございました。
(インタビュー担当:遠藤(サイサチ運営局))


